2016年1月1日(金) 新年号  新年あけましておめでとう・・・

2016年1月1日

新年あけましておめでとうございます。

昨年中はいろいろとお世話になり
ありがとうございました。

昨年は不思議な空間の中、
宇宙・星のしくみのまま流れたような一年でした。

2016年、今年はその結果が形として現れます。
ワクワク・ドキドキが止まりません。

「祈り」と「願い」、「念」の本当?の意味がわかりました。

それで、私が本当だと感じた事を記しますね。

「祈り」とは「意に乗る」(神の意に乗る)こと、
つまり神の意に添うことで、そういうことを
神の意のままにやっていけば良いというのが「祈り」ではないかな、
と私なりに解釈していたのですが、
実は、「祈り」とは、意(神の意) + 宣(宣言の宣)で、
神の意を寿ぐ(ことはぐ)こと、賞賛すること、褒めたたえることだとわかりました。

「祈り」とは、神の考えていること、
為せることについて賞賛すること、
褒めたたえることだったんです。

「願い」という言葉をひいたら、
この語源が、「ねぎらい」から来ていることを知りました。
「願い」とは「ねぎらい」だったのです。

「ねぎらい」とは、誰かに対するご苦労様の言葉かけと、
神・仏・天上界の方々に対するものです。
「ねぎらい」とは「ご苦労様でした。ありがとうございます。」
という意味で、本来は上の立場から下の立場の人にかける言葉ですが、
私たちが、神・仏に対してかける言葉というのは、
下から上にであって、上から下へという方向ではありません。
「ねぎらい」の言葉=ご苦労様でした。
というのは、当然、感謝の意を込めて「ありがとうございます」
ということになるのでしょうね。

「祈り」も、「願い」も、神の為せる業に対して褒めたたえ、
賞賛し、感謝をすることであったと分かりました。

私たちは、子供の頃から、神社仏閣に行って
「お祈りをしなさい」「お願いをしなさい」
というふうに言われてきましたよね。
「お祈り」や「お願い」は、かなえてもらうべき自分の希望や、
望みの事であったのですが、
実は、語源からすると「祈り」も、「願い」も、全て神・仏・天上界に対する
お礼の言葉・感謝の言葉・賞賛の言葉でした。

神仏に対するお礼の言葉・感謝の言葉・賞賛の言葉というのは何かというと、
これは「ありがとう」にほかなりません。
私たちは、神仏に対する言葉として「ありがとう」
という素晴らしい文字を頂いたわけですが、
この言葉を神社・仏閣に行ってただひたすら言い続けることが、
「祈り」であり「願い」だったということがわかりました。

「祈り」とは、「願い」とは、
自分の夢や希望を叶えてもらいたいという意味で使う言葉でなく、
神仏に対して、今私たちがしてもらっていること、
置かれている状況について、ただただお礼を言い、
感謝の言葉を伝えること。
それが「祈り」であり、「願い」ということでした。

ですから、これからは、神社仏閣に行ったときには、
「あれをしてください。これをしてください。これを叶えてください」
と言うのではなく、ただひたすら「ありがとうございます」ということで、
もう全てが、オッケイ!ということみたいですよ。

宇宙のしくみがそうなってるみたいですよ。

今をひたすらいきること、今、目の前にいる人を一生懸命に大事にすること、
それ以外に人生はないのですね。

今日寝て起きたら、明日ではないのですよね。

今日寝て起きたら、起きた時は今日です。

今日寝て起きたら、起きた時は今日。

明日という日は永久に来ません。
常に、今日、今、目の前に存在している人をひたすら大事にし、
やるべきことをひたすら大事にやっていく。

人生は、ただそれだけのようです。

でも、私たちはシナリオ通りです。
ワクワクしながら夢を語り、そのどっちかの人生を選ぶ。
右か左を。

選んだ方がシナリオ通りみたいです。

不思議な世界観です。

念を入れて生きるということです。
「念」という文字を分解すると、「今」の「心」とかいていますよね。

「今」の「心」とは。
今、目の前にいる人を大事にし、今、目の前の事を大事にすること。
それだけだよね。

「念ずる」という意味には、念ずれば未来が呼び寄せられるとか、
念ずれば自分のイメージ通りに未来を創る事ができるとか、
そういう意味は入っていません。
念ずるとは、ただひたすら今を大事にする心であり、
今、目の前の人を大事にし、今、目の前の事を大事にするという事に尽きるのです。

楽しい方を選んでいきたいなぁ~。
全てシナリオ通りなんだったらどっちを選んでもその通りなんだね。
わかればなんとなく、簡単なような気がしてきました。

だから、あるがままに。

流れのままになんだなぁ。
感謝 感謝

本年も宜しくお願い申し上げます。

また 愛ましょうね。

祈り・感謝 和

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